東和マッサージ 中野 の日記
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一流企業に入れば安泰もお金持ちになれば幸せもただの思い込み
2015.10.28
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脚本を書き上げる前提となった
「思い込み」
人は幼少期の「禁止令」などによって、人生や世界に対する「基本的な構え」をつくり出し、勝手に「自分はこういう人生を歩むのだろう/歩むべきだ」という「人生脚本」を書き上げてしまう。
そして、その人生脚本を遂行するための「ゲーム」に参加することになる。 よって、幸せになるという脚本を持ち、幸せになるゲームを続けている人は問題ないが、不幸になる脚本を持ち、日々不幸になるゲームを続けている人は、意識的には「幸せになりたい」と願っていても、自然に不幸の道へと突き進んでしまうのである。この人生脚本の力は強力で、変えようと思ってすぐに変えられるようなものではない。
やはりここで気になるのは、そうしてできあがった人生脚本は書き換えられるのか?ということだろう。結論から言えば、100%とはいえないが、変えることは可能である。
そもそも禁止令によって「こうしなければならない」「こうあるべきだ」というのは、幼少期に私たちが勝手に抱いた「思い込み」である。誰も「そうならねばならない」とは言っていない。仮に親や教師が「こうあるべきだ」と言ったところで、それに従うかどうかだって、その人次第なのだ。つまり、従うと決めた時点で、「親や教師は正しい」という思い込みに囚われていると言えよう。
決まりかけた人生を変え、脚本に支配された人生を変えたいと願うのであれば、まずそれを成り立たせている「思い込み」を外すことが必要なのだ。
人生を支配する「思い込み」、
思い込みとはいったい何か? 人生脚本を成り立たせている「思い込み」は、あなたの人生のほぼすべてを支配していると言っても過言ではない。
たとえばあなたはどういう性格だろうか?
明るい? 暗い? 引っ込み思案? 積極的?
なにかしら自分はこういう性格と言えるものが誰しもあると思うが、それは思い込みであると言える。なぜなら根拠がないからだ。 たとえば暗い性格だと言う人はどういう理由を挙げるだろう? 「人と話すのが嫌い」「部屋に閉じこもりがち」「すぐに落ち込む」……そんな理由を挙げるかもしれない。
しかし、誰もそうしなければならないとは言っていないし、その行動を選んだのは他ならぬあなたである。そして、その行動の積み重ねでできあがったあなたが、勝手に「暗い」という性格であると思い込んでいるだけなのだ。今日からだって、今この瞬間からだって、性格とは本来どうとでもなるものなのだ。 突き詰めていくとそれ以上根拠がないものを「思い込み」という。
思い込みは、「かけていることすら気づかないメガネ」のようなものだ。自分ではかけているつもりはないのに、そのメガネを通して世界を見ている。
思い込みを定義すると「合理的な根拠がなく、あるいはしばしば誤った根拠に基づいて、それと自覚せずに断定・確信・前提としている心の働き」となる。 <思い込みの特徴>
・あまりに「自明の理」であり、当たり前すぎて、それがあることも意識しない
・気づかないうちにそれがあることを、前提してしまっていること
・本人にとって疑う余地がないこと
・他の選択肢の可能性を考えないこと
・したがって根拠を問う必要性さえ感じないこと など ようするに、あまりに当たり前で本人はそれを疑う余地がなく、他の選択肢を考えないようなことだ。 例えば、「一流大学に入り、一流企業に就職すれば、人生勝ち組だ」という考え方。これも思い込みだろう。一流大学に入り、一流企業に就職した人でも、会社での人間関係がうまくいかなくて転職を繰り返す人もいれば、会社を辞めて引きこもりになる人もいる。その逆に、高卒で働きに出て結婚して家庭を持ち、幸せに暮らしている人もいるだろう。幸せになれるかどうかは、大学の偏差値や会社の規模では決められないのだ。 また、「お金持ちになれば幸せになれる」というのも思い込みである。お金はただの紙だ。ただみんなが信用しているから物と交換できる便利なものではある。そんな紙をたくさん持っているからといって幸せになれるというのは、ただの思い込みなのだ。