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日本が誇る2人のエースが異なった決断をしたのは何故か?

2015.04.27

右肘靭帯部分断裂に襲われた大リーグで活躍する2人の日本人エースが全く異なる決断をしました。ダルビッシュ有選手は、トミー・ジョン手術を選択。田中将大選手は、トミー・ジョン手術を回避し、PRPという保存療法を選びました。同じ故障に見舞われた二人のエースはどうしてこのような対照的な決断をしたのでしょうか? もちろん、両者共に複数の医師の意見を聞き決断したのですが、最終的な判断はどのような経験をし、どのように野球選手という職業を捉えているか?というそれぞれの野球観に負うところが大きかったのではないでしょうか?


ダルビッシュの決断した「トミー・ジョン手術」とは

「トミー・ジョン手術」は、肘の靭帯断裂などで損傷した靭帯を切除し、正常な腱を移植して、損傷した肘の修復を図るものです。1974年、米大リーグ、ドジャースのチーム医師だったフランク・ジョーブ博士が考案し、手法を確立しました。初めてこの手術を受けた投手トミー・ジョンソンにちなんで、「トミー・ジョン手術」と呼ばれています。当初、手術の成功率は1%未満でしたが、40年経った今では完全復活する確率が高くなっています。米医学専門誌の調査では、手術を受けたメジャーリーグ投手の83%がメジャーに復帰、マイナーも含めると97%が実戦復帰を果たしています。ただ、術後は1年~1年3か月ほどの長期にわたるリハビリが必要です。高年齢で手術を受けるほど、回復が遅くなる確率は高くなります。米国の医学誌によると20~27歳で復帰までの期間は、平均で15か月。それが28歳だと平均で16.9か月となり、1か月以上も復帰が遅れることになります。  

田中将大の選択したPRP療法とは


PRP療法とは再生療法の一種で、自らの血液から抽出した多血小板血漿を注射し組織損傷の修復を促し、早期治癒を図る治療方法です。PRP療法は組織の治癒力を促して患部の再生を図るものですが、断裂した靱帯を完全に修復するものではありませんし、未確立の治療法とも言われています。田中選手は、メッツのチームドクターであるアルチェック氏にセカンドオピニオンを仰ぎ最終的に保存療法を選択し、当初の予定通り6週間で実戦復帰を果たしましたが、同医師が同様にPRP療法を施したメッツのマット・ハービー投手は、結局復帰できずトミー・ジョン手術を行う事となりました。元レッドソックスのエース ペドロ・マルチネス氏は4月1日に、「田中は1年を通して健康な状態でいることはできないだろう」とコメント。マルチネス氏だけではなく、田中選手の右肘には、多くの関係者が不安感を抱いており、結局はトミー・ジョン手術を受ける事を余儀なくされるのではないかという声も多いのです。  

二人の共通点:チームの勝利の為ならエースとして全力を尽くす


このように対照的な決断をした2人ですが、共通している事があります。それは所属するチームの勝利に対する強い責任感と高いプロ意識です。
2人共高校時代はエースでキャプテンを務め、甲子園大会で優秀な成績を残しています。プロ野球界に入った後も、エースとしてチームを牽引し、優勝に導いています。両投手ともにチームにとって重要な試合では、例えどんな状態であろうがエースとして全力を尽くしています。
ダルビッシュ選手は、2009年巨人との日本シリーズにおいて、 右手人さし指の疲労骨折と左腰、左臀部痛の中で、誰にも痛みを告げることなく、先発マウンドにあがり、巨人打線を抑えて勝利投手となっています。また田中選手は、2013年の巨人との日本シリーズ第6戦で160球を投げた翌日の第7戦(Kスタ宮城)に9回から登板し、楽天を史上初の日本一に導いています

 全く違う2人の経験と決断

フォア・ザ・チームの精神が非常に強いという共通点を持つ二人ですが、これまでの野球生活は、大きく異なります。そしてこの野球生活の違いこそが、今回の全く異なる決断の背景のように思えます
ダルビッシュ選手は、怪我や故障をして、チームを離れる事が多い野球生活をおくってきました。高校入学後も成長痛、右棘下筋痛、腰痛、肩痛。プロ入り後も右ひざの関節炎、肩痛、投手強襲打が右肩を直撃、右手人さし指を疲労骨折、左腰、左臀部痛。大リーグでも右僧帽筋の張り、首の凝り、右肘の炎症。
度重なる故障に悩まされ、その度に戦線離脱を余儀なくされたダルビッシュ選手は、ベストパフォーマンスを継続的に行えるよう、長い時間をかけても故障を完全に治す可能性が高いトミー・ジョン手術を選んだのでしょう。早期復帰をしたとしても依然として肘に不安が残り、再び故障する可能性は否定できないPRP療法は、ダルビッシュ選手にとって、耐えられないオプションだったに違いありません。これに対し田中選手は怪我や故障でチームを離れる事が少なく、体調が悪い時でも試合に出場し続け、結果をだしてきました。長期の欠場としては2010年に太腿の肉離れ、右大胸筋部分断裂で約2ケ月欠場したことがあるだけです。田中選手にとって、15~18ケ月間もチームから離れる事が前提になるトミー・ジョン手術は受け入れがたい選択肢だったのでしょう。リスクはあるが早期復帰が可能なPRP療法を選んだ事もうなずけます。  

二人の行動が意味するもの


ベストな状態でチームに貢献したいダルビッシュ選手、長期離脱を回避し、チームの勝利の為に投げ続ける事を選択した田中選手。彼らの行動は、怪我や痛みへの対処という点で、一般の人々にも参考になる事例かもしれません。特にダルビッシュ選手が経験した怪我や故障の中には、プロ選手特有のものだけではなく、スポーツや日常業務で身体を動かすことが多い一般人においても起こりうる可能性があります。普段から、最高のパフォーマンスを出せるように、予防や細かいケアを欠かさず行い、それでも何か問題を生じた時は大胆に決断をする~そんな教訓を2人のプロフェッショナルの決断から読み取ることができるのではないでしょうか?右肘靭帯部分断裂に襲われた大リーグで活躍する2人の日本人エースが全く異なる決断をしました。ダルビッシュ有選手は、トミー・ジョン手術を選択。田中将大選手は、トミー・ジョン手術を回避し、PRPという保存療法を選びました。同じ故障に見舞われた二人のエースはどうしてこのような対照的な決断をしたのでしょうか? もちろん、両者共に複数の医師の意見を聞き決断したのですが、最終的な判断はどのような経験をし、どのように野球選手という職業を捉えているか?というそれぞれの野球観に負うところが大きかったのではないでしょうか?





















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